濃尾古城 豊橋:吉田城、二連木城

7月26日、濃尾古城探訪会の例会で豊橋の吉田城を訪問。

雨の心配があったが、現地では曇り空で見学には差し支えなくて良かった。

豊橋駅から市内電車で市役所前まで。
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市役所の脇に豊橋公園、この中に目指す吉田城址がある。
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城址へ到着。橋の向こうに千貫櫓の跡がある。
石垣がきれいだ。
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この石垣には刻印が多数見られる。
なんでも名古屋城築城時の石材を流用したとか。

千貫櫓の向かい側に残る辰巳櫓への石垣。
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そして、城址の中心的存在、鉄櫓(くろがねやぐら)へ。
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櫓の中を見学。土日だけ開放かも(無料だった)。
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中には色々な資料が展示。
古城会の案内役の方に丁寧な説明をしてもらった。

吉田城は1505年、豊川の一色城主・牧野古白により今橋城が築かれたことに始まる。
その後、今橋は吉田と改名され、戦国の争乱の中、今川、武田、松平らによる激しい争奪戦が繰り広げられた。

吉田城のすぐ東に建つ二連木城とにらみ合う形になっている。

この城は豊川に接する台地の端っこに造られている。
本丸の模型。
右手前が鉄櫓。そしてその下、豊川の淵に帯曲輪が広がっている。
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鉄櫓の屋根に座る鯱ほこ。
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鉄櫓の周りを歩き、石垣を観る。

池田氏による大規模な改修を受けて造られた石垣が見事だ。
谷積みという積み方で近世になってからの積み方だそうだ。
(こう云うことは専門家の説明を聞かねば分からない)
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鉄櫓を支える石垣。ここの石材は色が変わっていて、チャートらしい。
草がいっぱい生えてしまっている。
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吉田城のスタンプ
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◇ ◇ ◇

豊橋公園のすぐ隣に建つ市役所庁舎にあるレストランでランチ。
13階で眺望がすばらしい。豊川がお城のところで大きく蛇行している。
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◇ ◇ ◇

ランチ後は二連木城址へ向かう。
ランチ中は雨が激しかったが、その後雨もやみ時折小雨がぱらつく程度になった。

再び市内電車に乗って、東田駅で下車。

二連木城址へ向け住宅街をしばらく歩く。
住宅街を抜けると、堀切や土塁が見えてきて城址らしくなってきた。
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城址への入口。
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土塁が一部残っているが、残されている遺構は少ない。
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本丸跡は広く、灌木が生えていて公園になっている。
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二連木城址の石碑。
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二連木城は15世紀末に戸田氏によって築かれた。

戸田氏中興の祖、戸田宗光が三河の国で勢力を持ち始め、応仁の乱後に田原城を築城。
更に戦乱を経て、二連木城を築城した。

最後の二連木城主の戸田氏は徳川家康の関八州への移封とともにこの地を去る。
この時、東三河に入った池田照政は吉田城を拠点にし、二連木城を廃城にした。

城内には、何やら何基かの句碑も建っている。
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◇ ◇ ◇

二連木城址の見学を終え、すぐ近くの全久院へ。
全久院は戸田氏の菩提寺だ。
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全久院の本堂。
中で、この地を治めた戸田氏について解説を聞く。
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本堂前にハスの花が一輪だけ咲きそうだった。最後のひと咲か?
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全久院から同じ二連木町内にある、しじかみ郷城址へ向かった。

でも、遺構はほとんどなく、解説を聞くのみ。

そして、再び市内電車で豊橋駅前へ戻り、名鉄電車で名古屋へ。

心配していた雨はあまり激しくなく、良かった。

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