100名城 若狭国吉城、玄蕃尾城、小谷城
梅雨の晴れ間を縫って100名城巡りを再開。
6月27日、北近江、若狭方面へ出かけることにした。
目標は、若狭美浜町の国吉城、滋賀・福井県境にある玄蕃尾城、そして北近江の小谷城だ。
先ずは、一番遠い若狭へ。名神高速、北陸道を走って約2時間。
若狭国吉城に到着だ。
とりあえず、若狭国吉城歴史資料館見学し、ここでスタンプをもらう。
中に国吉城のジオラマが展示してあった。
資料館の裏手に城主居館の跡があり、ここから国吉城に入る。
居館跡の石垣群。
居館は土塁で囲まれている。
隅にある溝は石組の溝だ。
居館跡から狭い登り道が伸びている。ここを進む。
かなりキツイ山道を20分くらい進むと、ようやく堀切の石垣が見えてくる。
本丸の虎口だ。石垣も見える。
そして、本丸へ。
本丸からの眺望。若狭美浜町の佐柿の街並みが見え、丹後街道が伸びている。
本丸の周りは、土塁や石垣で守られている。
佐柿国吉城は、若狭守護武田氏の重臣粟屋氏が築城したとされる。
越前の朝倉氏はたびたび若狭侵攻を繰り返したが、毎回これを撃退し、難攻不落を誇ったと云う。
粟屋氏は越前へ出陣してきた織田・徳川連合軍をこの国吉城に迎え入れた。
ただ、この城も江戸時代初期に廃城とされた歴史を持つ。
佐柿国吉城のスタンプ
◇ ◇ ◇
次いで、若狭と近江の国境にあるという、玄蕃尾城へ向かう。
車で30分くらいの見当だが、近くまで来ても登城口の場所が分からない。
車のナビにも載っていないし、スマホのルート案内でも出てこない。
連絡先も分からす、やや諦めかけたころネットの記事を見つけ、ようやく登城口へ辿り着いた。
狭い林道の突き当りに駐車スペースがあり、ここにスタンプ置き場が設置されていた。
無人だ。
その隣に登城口がある。
登り始めは比較的に広い道を進み、堀切の谷底みたいな道を進む。
しばらく行くと分かれ道になっており、左が玄蕃尾城、右は行市山砦とある。
ここからしばらくは細い山道を登る。
すると尾根道になるが、ここは結構道幅が広い。
ようやく城域に入る。 城域の様子は次の通り。
玄蕃尾城は北国街道を見下ろす軍事上の要所にあった。
賤ケ岳の合戦に際し、柴田勝家の本陣となった山城だ。
ただ、柴田勝家は戦わずしてこの城から撤退し、
その後、手つかずで残されたことから、山城の構造が合戦当時のままに保存されているそうだ。
先ず、南虎口。
そして、ここにも堀切が。
そして、東虎口と堀切。
馬出し郭という所へ出る。
そして、ようやく本郭(主郭)だ。 奥に小高く櫓台が見える。
さらに奥へ進むと、ここにも馬出郭が備えれられている。
そして、搦め手の郭があり、主に兵站基地として用いられたと云う。
この城址は雑草刈りなどがきちんとなされており、よく整備されている。
玄蕃尾城のスタンプ
◇ ◇ ◇
さらに車で40分くらい走って、最後の目的地小谷城へ。
戦国歴史資料館へ到着し、ここでスタンプをもらう。
近くの登山道(大手道)を歩いて登り始めた。
結構険しい登城道だった。
途中でクルマの道に出くわしたので、クルマで行けるところまで行ってみようと思って、引き返してきた。
少し走って、すぐにそれらしい所を見つけた。
ガイドステーションと称する施設があって、そこからクルマの登山道があるみたい。
ガイドステーション前に、巨大な兜のモニュメントがある。
大河ドラマ放映記念だとか。何のことやら?
林道を走って登ると、終点の駐車スペースに大きな案内板が建っていた。
ここから歩いて登ることになる。
全体像は次の通りだが、今回は本丸まで歩けば良しとする。
本丸までは20分。
本丸の奥の山王丸まで更に30分、頂上の大嶽までは更に一時間かかるようで今回は最初から断念する。
案内板の脇、すぐのところに番所跡がある。
城郭主要部への入口にあたり、検問所のあったところ。
しばらく登ると、虎御前山展望所へ出る。
眼下に見えるのが虎御前山で、信長が陣を張ったところだとか。
すぐ上に御茶屋跡の看板が建つ。近くに巨岩が転がっていた。
少し登ると、馬洗い池の看板が建つ。
これが馬洗い池。
そして、その前に御馬屋跡。 草が生い茂っていて様子が分からない。
桜馬場跡へ出る。
桜馬場に建つ供養塔。浅井氏とその家臣団の供養塔だ。
なんと、その目の前に野ウサギが一羽たたずんでいた。かなり大きい。
さらに少し登ると黒金御門跡だ。両側に巨石を据えている。
「熊出没注意!」の黄色い看板があり、緊張感を増す。
黒金御門を通り過ぎると、大広間跡だ。別名千畳敷とも呼ばれる小谷城最大の曲輪。
当時の礎石が今も残っている。
大広間跡の奥の小高いところが本丸だ。ここが小谷城の中心。
本丸への登り口。少しの段差だ。
そして本丸。
本丸の周りは石垣で守られている。
守護大名京極氏に仕えていた浅井氏は、京極氏の跡目争いに乗じて主導権を獲得。北近江を支配するようになった。
小谷城は浅井三代(亮政、久政、長政)の居城で、信長との戦いに敗れて落城。
本丸からの眺望。
小谷城のスタンプ。 押すときに、うっかりずらしてしまった。
朝早く出発したので余裕のはずだったが、玄蕃尾城への登城口に迷ってしまい無駄な時間をろうした。
結果オーライだったが、今後はもう少しよく調べて出かけることにしよう。
うまい具合に天気に恵まれたのは良かった。
帰り道の養老SAで、飛騨牛弁当を買って帰り、晩飯にした。
すこぶる美味であった。
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