100名城 静岡:諏訪原城、高天神城、掛川城、おまけに横須賀城
3月24日、コロナ旋風を避けつつ、車で掛川方面の100名城巡りをした。
伊勢湾岸道路から新東名高速を走って、島田ICで降りる。
先ずは 諏訪原城 だ。
東海道沿いの牧之原台地に築かれているので、牧之原城とも呼ばれるらしい。
島田市菊川にあるビジターセンターへ着き、ここでスタンプをもらう。
ビジターセンター内を見学。
諏訪原城のジオラマや絵図が展示してあった。
天正元年(1753)に武田勝頼が遠江侵攻を目論み築かせたという、山城だ。
大井川を背にして本曲輪を置き、丸馬出で囲む堅固な縄張りとなっている。
センター内には当時使われた鉄砲玉(鉛玉)も展示されていた。
ビジターセンターのすぐ裏手に城址の入口がある。
すぐ先には大手南の外堀だ。
すぐ目の前の茶畑に何やら石柱が。
武田方城主 今福浄閑戦死墓塚と表記されている。
大手北外堀。
史跡を表す石碑が建つ。
そして、二の丸曲輪の北馬出。 このような素晴らしい馬出が本曲輪を囲んでいる。
馬出の内側に、本曲輪の内堀が掘られている。
内堀を渡ると本曲輪だ。
本曲輪からは島田の街並みが見える。遠くに大井川が流れる。
城内を散策する。
カンカン井戸なる井戸がある。名前の由来は分からない。
そして諏訪神社。勝頼は築城にあたって諏訪神社を祀った。
諏訪原城のスタンプ。
◇ ◇ ◇
次いで、 高天神城 へ向かう。
島田から掛川へ戻る。
大東北公民館というところでスタンプをもらう。
高天神城址へむかう。城のあった鶴翁山(標高130m)が見えてきた。
搦め手口へのアクセス路がある。
ここを進むと高天神社の鳥居が建っていた。山頂に社があるらしい。
先に進むと搦め手門の跡が。
更に進めば山頂へ行けるようだが、今回は大手門から登ることにして、そちらへ回った。
こちらが大手口だ。
大手門跡。
そして、三の丸跡。
更に元宮(元天神社)。以前はこちらに高天神社が祀られていたようだ。
元宮のすぐ前に御前曲輪と云う何やら曰くのありそうな名の曲輪がある。
天守台のようなものがあるが、昭和初期に建てた模擬天守の残骸らしい。
そして、本丸。
高天神城の絵図。
高天神城は鶴翁山の二つの峰をうまく使った一城別郭と呼ばれる構造で、難攻不落の城と呼ばれた。
東の峰には本丸や御前曲輪が、西の峰には西の丸があった。
本丸の裏手に大河内石窟と呼ばれる洞窟がある。
武田勝頼に包囲され、その軍門に下った城主の意に背き断固抗戦を主張した軍監・大河内がここに幽閉されたという。
更に降りていくと、三日月井戸が。
そして的場曲輪。
西の峰を登る。
途中に、かな井戸と呼ばれる井戸がある。
西の峰の頂上に西の丸跡があり、高天神社が祀られている。
ここからの眺望はなかなか素晴らしい。
高天神城のスタンプ
◇ ◇ ◇
次いで、掛川城へ向かう。
駐車場が空いているので、なんか変だなと思いながら駐車。
お城の入口、四足門。
四足門から天守が見える。
四足門を潜った先に城内のジオラマが展示してあった。
期待を込めて天守へ向かうと、なんとコロナ禍の影響でしばらく休場とのこと。
スタンプも掛川駅で貰うように変更されていた。
仕方がないので、天守を仰ぎ見るのみ。
この天守は安政の地震で取り壊されたが、平成6年に現存する高知城を参考に再建した。
山内一豊が入府して大改修したが、一豊の転封した高知城と同じだったという記録があったそうだ。
天守閣の手前から掛川市内を眺める。
そこから二の丸御殿を見下ろすことが出来る。幕末の再建だ。
帰り道に太鼓櫓が建つのを見つける。現存櫓だ。
ここではスタンプをもらえないので、掛川駅へ向かってスタンプを入手。
◇ ◇ ◇
この日の予定は以上だったが、入手した資料を見ると「掛川三城」として
掛川城、高天神城と並んで横須賀城と云うのがあるらしい。
折角だから、 横須賀城 へ行ってみることにした。
到着してみてびっくり。 見事な石垣が連なっている。
説明板を読むと、高天神城攻略の起点として築城されたようだ。
大井川や天竜川の河原の玉石を使って石垣を組んでいる、たいへん珍しい城だ。
石垣のすぐ上に本丸と天守台跡だ。
往時の様子が模型で展示されている。
絵図も架かる。
本丸から眺める石垣。なかなか素晴らしい。
一段と高い石垣の部分もある。
100名城に選定されても良さそうな気がしたが、石垣の復元にセメントを使っているのが露わだったのが悔やまれる。
でも、思わず良い城址を観ることが出来て良かった。
時刻も夕刻になったので、一路名古屋へ帰還。
天気にも恵まれ、楽しい一日だった。
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