瀬戸蔵ミュージアムと瀬戸の街歩き

7月10日、緑鯱城の集まりで瀬戸蔵ミュージアムへ。
ちょっと前に地域学科クラスの催しでここへ来る企画があったのだが、その時は所用で参加できなかった。
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名鉄瀬戸電で尾張瀬戸駅へ。

駅の広場には、藤井聡太四段の応援コーナーが残っていた。
連勝中は市民が大勢集まってさぞかし盛り上がっていたことだろう。
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市内を縦断する瀬戸川沿いを歩く。
昔は陶土を含んだ水で白色に濁った川だったが、もう今はきれいに澄んだ水が流れている。

川沿いに建つ一軒の商家。
丸一国府商店と云う陶器屋さんだ。
明治初年の廃藩置県で失業した犬山藩の藩士達がこの地に創業したのが始まりとか。
いわゆる「武家の商法」だが、成功したのだろう。
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建物は木造4階建て。明治初年の建築としては珍しい。
二階建ての建物の上に二階構造の望楼をのせた格好で、犬山城の天守をイメージしているそうだ。
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川向うに目的地の瀬戸蔵ミュージアムが見える。
立派な建物だ。
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ここにも藤井聡太四段の快挙を称える横断幕が架かっている。
まさに瀬戸市の英雄だ。
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瀬戸蔵ミュージアムに入るとすぐに瀬戸電が鎮座。
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往年の尾張瀬戸駅の駅舎も復元されている。少し縮小版だ。
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館内では館長さんに丁寧に説明してもらった。
説明が上手で、思わず引き込まれる。
瀬戸物のことはある程度分かっているつもりだったが、案外に「へ~!」と驚くことが多かった。

「瀬戸焼千年の歩み」と銘打ったミュージアムだけあって、瀬戸焼の起源から今に至る発展の経緯が理解しやすいように上手に展示されている。

館内の様子。
往年の瀬戸物の街を再現してあり、当時の製造用具なども陳列してある。
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ミュージアムの見学を終え、近くのそば屋「志庵」でランチ。

昼食後は街歩きだ。 
皆で相談の結果、山側の窯神神社方面へ行くことになった。

銀座通り商店街、ここにも藤井聡太四段の祝賀メッセージが。
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商店街を出てすぐの街角に屋根神さんが祀られている。
瀬戸にもこういう風習があったのだなぁ!
名古屋の四間道の屋根神さんとは少し雰囲気が違うが……。
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しばらく行くと、古民家「久米邸」へ。
この建物は築100年だそうだ。
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カフェギャラリーや雑貨販売を営んでいるようだ。

その内部。鴨居にずらぁ~っと並んだ柱時計が印象的。
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庭には変わった形の植木桶がある。
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更に坂を登って、無風庵へ。

そこに慰霊塔がそびえている。
モダンなデザインで、ちょっと無風庵の雰囲気にそぐわない。
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慰霊塔の脇にひっそりと佇む無風庵。
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草葺き入母屋造りの建物で、工芸家・藤井達吉が小原村で工房として使っていたものを移築したと云う。
今は茶室として使われているそうだ。

すぐ傍の民家は陶器を集めて塀にしているのが面白い。
ガイドさんによればこの街の陶芸家の住まいだそうだ。
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山のほぼ頂に建つ窯神神社。
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本殿も少し雰囲気が違う。
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扁額が陶器製のところが瀬戸物の街らしい。
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本殿の隣に、加藤唐左衛門の顕彰碑が建つ。
江戸時代中期の陶工で今も代々継がれているそうだ。
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その隣に、磁祖・加藤民吉の像が建つ。
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近くに「残心の杉」と銘打った小さな杉が。
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説明書きによると……
 民吉翁は、九州へ磁器製造修行の旅をし、
 修行を終えて帰る際に記念に杉の樹を植えた。
 「残心の杉」と名付けられたその杉はいまでも残っていて、
 2007年、民吉翁の九州修行200年を記念して、
 その杉をここに植樹した
 ……と云う。

またその脇に、「飲水思源碑」と云う石碑が建っている。
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飲水思源と云うのは、調べてみると……
 中国の故事成句で、
  「水を飲むものはその源に思いをいたせ」
 つまり
  「井戸の水を飲むものは、その井戸を掘った人の労を思え」
 と云うことらしい。

民吉翁の九州修行の際に今の天草市に縁があり、
その天草市から贈られた天草陶石(磁器の原料)で出来ているという。

神社の近くから遠くの山を望むと、陶土を掘りだした山々が見られる。
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街中へ戻ってきて、再び瀬戸電で名古屋へ戻る。
瀬戸の街もゆっくり歩くと面白い。




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